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Resume of Ko Ryoke, Concert Pianist
Ko Ryoke - Japanese Concert Pianist 

1953年12月7日

神戸に生まれる。

1959年

ピアノを習い始める。

1963−1974年

当時、大阪音楽大学客員教授として関西に在住していたアルント・ドルゲ氏に教えを受ける。

1972年

大阪大学文学部に入学。デトモルト留学まで在籍。

1974−1976年

当時西独のデトモルト音楽大学のF.W.シュヌア教授のピアノのクラスに入学、教えをうける。

1976年

音楽大学コンクールへ派遣され、同年の開催地フライブルグで"もうひとつのピアノ"に出会う。

1976−1978年

フライブルグ音楽大学のV.マルグリス教授のクラスに入学、教えを受ける。

1978−1981年

故ローザ・サバテア教授(1983年マドリードの飛行機事故のため死去)に出会い教えを受ける。(1979年メンデルスゾーンコンクール・ファイナリスト)

1981−1985年

コンクールの準備中に痛めた右手から、遂には右側の運動機能・筋肉組織に障害を起こし、完全にピアノ演奏を断念して、治療に専念する。(治療法を探す。)

1985年

運動機能に障害の残ったまま、フライブルグ音楽大学故ティボー・ハザイ教授(2004年1月死去)のクラスに再入学を許される。手の中の筋肉組織について、自身もピアノのテクニックを基礎から作り直したピアニストに教えられる。故サバテア教授の演奏テクニックへの道を見つけて、ゼロから作り始める。運動機能に障害の残ったまま、フライブルグ音楽大学故ティボー・ハザイ教授(2004年1月死去)のクラスに再入学を許される。手の中の筋肉組織について、自身もピアノのテクニックを基礎から作り直したピアニストに教えられる。故サバテア教授の演奏テクニックへの道を見つけて、ゼロから作り始める。

1986年

フランスの放送で、B.セルヴァの1930年の録音に出会う。

1987年

フライブルグ音楽大学で演奏家試験を終える。

1988−1992年

カールスルーエ音楽大学の故ヴェルナー・ゲヌイット教授(1997年死去)のマスター・クラスに入学。

1992年

ソリスト試験。オーケストラ試験をW.ライスキー指揮のポーランド・フィルハーモニーとベートーヴェンの5番コンチェルト"皇帝"で行う。

1993年

B.セルヴァが1919−1923年に"ピアノのテクニックの音楽的教授"という本を書いたと知り、この本の正確な理解のためにとフライブルグ大学哲学部音楽学科に入学。

1994年

コンサート活動を始める。フランクフルト、ベルリン、大阪(宝塚ベガ・ホール)でリサイタル。

1995年

フライブルグで初めてのリサイタル。冬大阪でリサイタルをして、大阪府民文化賞をもらう。

1996年

大阪・交野の大門酒造で酒蔵コンサートを始める。

1997年

自分の出会ったテクニック(故サバテア女史、B.セルヴァらのテクニック)が、クラヴィコードの奏法がウィーン式メカニックの楽器の奏法を経て、現代まで生き残ったものという発見・確信に基づいて、"もう一つのピアノ−ウィーン式メカニックの世界"というタイトルの元に、今のスタインウェイ(イギリス式メカニック)と1846年のストライヒャ−(ウィーン式メカニック)の2つの楽器で2晩のリサイタルをする。

1998年

フライブルグ、ベルリンと宝塚ベガ・ホールでリサイタル。音楽の友社の雑誌"ムジカ・ノーヴァ"に音楽の変遷に付いて書いた文章が掲載される。

1999年

フライブルグ、大阪(宝塚ベガ・ホール)でリサイタル。大門酒造・酒蔵で同じ曲目をクラヴィコードで演奏する音楽会をする。

2000年

フライブルグと大阪でリサイタル。夏、熊本大学教育学部ピアノ科で鍵盤楽器について講習をする。

2001年

神戸新聞の後援を得て、松方ホールで古い調整のスタインウェイで"もう一つのピアノ"というタイトルでリサ イタルを開く。9月、大阪・豊中の梅花教会でチャリティー・コンサートが始まる。

2002年

フライブルグでリサイタル。友人たちの勧めに従いベルリン・フィルハーモニー室内楽ホールでの"もう一つのピアノ"のリサイタル(2004年6月)の準備を始める。

2003年

フライブルグ市からドイツでの(EUでの)永久労働許可と永住権を与えられる。


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不思議なピアノ

抵抗感のない鍵盤
昨年、兵庫県・西宮の美術館でのコンサートで、ピアノをある状態に調整(タッチ−鍵盤の感覚・重さを演奏にあわせて、アクションのネジで調節すること)してほしいとお願いしたら、弾きにくくなると始めは渋られた調律の方が、仕事をしながら、"これは、全然スタンダードとは違いますな。"と感慨深げに言われるので、"違います。私もそのピアノに出会うまで、そんなピアノが世の中にあるなんて思ってもみませんでした。"と答えたものです。

そのピアノに出会ったのは今から20年程前、1976年の6月のことでした。ドイツ中北部のデトモルトに留学して3年目、当時23歳の私はドイツの音楽大学のコンクールを受けるべく、その年の開催地ドイツ西南端のフライブルグへと出かけました。怖いもの知らずというだけで、まだ何も出来ていない私は、"あなたのピアニッシモはとても美しいので、それで審査員達を魅了していらっしゃい。"という、先生のシュヌア教授の言葉を励みに出発しました。カトリックの大聖堂を中心に、石畳を敷き詰めた街中を疎水が廻る中世の町、フライブルグの音楽大学は、そのころ街中の古い建物を借りて点在しており、事務室で割り当てられた練習室というのも分りにくいものでした。やっと見つけた部屋には、使い古したスタインウェイが一台置かれていました。長旅の練習不足を取り戻すべく、と弾き出すと、それは随分と変わった感触でした。鍵盤が何の抵抗も感じさせず、サッと底まで下りるのです。私がそれまで知っていたピアノは皆、鍵盤の下りる途中で一旦微かに止まるようになっていました。この一旦止まる点を、更に強く押すとフォルテ、柔らかく押すとピアノになるというように私は思っていましたから、止まる点を持たないピアノに面食らいました。アスファルトの上しか歩いたことのない人が、薄氷の上を同じように思って歩いた時の感じ、と言えば分っていただけるかもしれません。余りに驚いたので、よその音楽大学から来た人たちに、ピアノの鍵盤の感じが変わってないか、学校にあるのと同じか、と会う人事に聞いてみました。皆、少し違うけれどもさして弾きにくくはない、という答えでした。自分だけが未熟だからかなと、奇妙な気分で翌日のコンクールを迎えました。ホールのコンサートピアノは新しいものでしたが、弾き始めると面食らうでは済まなくなりました。昨日のピアノより更に敏感で、指が鍵盤の表面に触れたと思ったら、もう底まで落ちてしまっているのです。恐ろしい状態で、美しい弱音もなにもあったものではなく、なんとかともかくお終いまで弾いたことしか覚えていません。

美しさに魅せられて
ピアノに背負い投げでもされたかのようで、なんとも情けなく、また謎なので、他の人たちの演奏を全部聴きました。よく出来ているなあ、と感心することはあっても、どの人のにも強弱の幅、差はやはりあまりありませんでした。ああ、このピアノは強弱が出ないのだ、と少し安心した私は、それをこの不思議の解答と思い、その夜同じホールでの、レニングラードから亡命して間もないマルグリス教授のリサイタルに出かけました。そうして1曲目のバッハの"平均律"1巻嬰ハ短調のプレリュードが始まった瞬間に、私の認識が間違っていたことに気づきました。敏感な鍵盤の不思議なピアノは、扱われるべく扱われると豊かなフォルテも、本当に美しく響くピアニッシモも奏でれる楽器でした。しかしそれ以上にその響きそのものが、それまで私の聞いたことのない純度の高い精緻なものでした。"ピアノとは、こういう楽器だったのだ!"と思いました。

その後フライブルグに転校し、このマルグリス教授につき、更にグラナドスの孫弟子にあたるサバテアという先生について、"歌うように"と彼女が弾いたパッセージの美しさに魅せられることになりました。レースのように繊細な線描の際、敏感な鍵盤の不思議なピアノはこの上もなく威力を発揮するように私には思えました。今では、ヨーロッパでは戦前この調整が一般的であったこと、パリでは今でも一般的である事が分かっていますし、また不思議なピアノの張本人、1914年生まれの調律師ヒッペさんに、調整や調律を教わりもしています。不思議なピアノの謎はだいぶ解けてきましたが、"これがピアノなのだ。"という思いは、ますます深くなっています。

音楽の友社 "ムジカノーヴァ"1998年5月号


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新聞の記事
1997年6月9日、神戸新聞掲載の音楽会評

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